末路に向かって

徒然。意識無意識。

ポジティブ。

この歳になると、いろんなことが見えてきたりする。

 

もちろん大概のことは見えないままなのだが。

 

それでも、若い頃に抱いてた余計な感情が無くなってきたりして、煩わしさが減った。

 

他人に興味がなくなったというのが一番大きいのだが、実は若い頃は余計なお世話を焼くタイプで、相手の立場や気持ちなどは考えられない自分中心の人だった。

 

が、俺の大先輩クラスの人が『俺は他人に興味がないからなぁ』と俺をたしなめてくれていて、それが妙に素敵に思え、俺も真似してそう言い張ってきた。

 

すると、だんだん心からそう思えるようになってきて、そうなると、相変わらず他人のやることにいちいち口出しするタイプの知人がハッキリ見えてきて、またそういう人たちに幸せそうな人が1人もいない事に気付いたりして、ますます他人への興味が失せてしまった。

 

となると、まず『うらやましい』という感情が薄くなる。

 

他人が大金持ちだろうと、宝くじに当たろうと、俺には関係ないと理解しているので、あっさりと心から喜んであげられる。

 

お願いだから少し分けてよー!なんてことは思わない。

 

関係ないのだ。

 

友達だったとしても、そこは俺とは関係ない。

 

そう、友達でも、単なる友達でしかないので、嫌なこと言われたりされたりしても、そんな日もあるわな。と思うようになった。

友達だろうがなんだろうが、突き詰めると無関係なのだ(笑)。

 

性格が悪いように聞こえるかもしれないが、そういうことではない。

また、友達なんだから、悪いところは指摘してあげるべきでは?と言う人もいるだろう。

 

しかし、それもまた自分のものさしでしかない。

 

他人を自分の常識で縛るなんて、野暮すぎるってものだ。

 

とはいえ、

 

感謝はする。実際に口に出して感謝するようにしている。

 

飯をご馳走になることだってあるし、そういうときはご馳走様だけではなく、○○のおかげでちょうど食べたいと思ってたやつにありつけたよ。ありがとうね!と、多少大げさに言う。

やはり感謝は大事だし、これまでの俺に足りなかった部分だ。

 

時には、ご馳走様も言わないやつの食事代を出すこともあるが、それにも反応しないようにしている。

 

かつての俺か、前世の俺がそういう態度を取った。その報いが俺に回ってきただけなのだ。

そしてその悪い循環が今断ち切られたということだ。

つまり、これもまた感謝すべきところなのだ。

 

情けは人の為ならず。

 

この言葉を俺はずっと勘違いして生きてきた。

 

誰かに情けをかけても、それは単に余計なお世話であって、そいつのためにはならないんだよ。的な意味だと思ってきた。

 

頭の悪さを白状してるようなエピソードだが(笑)。

 

人に情けをかけることは、いずれ自分の身に返ってくるよ。ということなのだが、実際、徳を積むという言葉があるように、そういう機会に遭遇すれば、それこそ宝くじに当たるレベルの幸運だと思えるようになった。

 

つまり、そこに大変なことなど存在しない。

 

というわけで、なんだか妙な展開になってしまったが、今日も調子に乗ってポジティブに行こうじゃないかと。

 

とほかみえみため。です。