末路に向かって

徒然。意識無意識。

ううむ。

日本の政治家は何をやっているのか。

 

諸悪の根源は誰なのか。

 

官僚主導の政治であることはもう誰もが知るところだろうが、どうにかして一度リセットできないものか。

 

総理大臣が無力なのもそうだ。いつからなのだろう。

 

まあ、何について俺が騒いでいるかは置いとくが。

 

あ、はだしのゲンが教材から削除されたとかなんとかの話があったが、あれもちょっと考えさせられる。

 

読んだ人が記憶しているかどうか。

 

まあ、鯉を盗むシーンが相応しくないだの、浪曲師の真似事をして小銭を稼ぐシーンで、今の子どもに浪曲は分からないだろうとか、何かともっともらしい理由を論っているようだが。

 

これはね、ぶっちゃけて言うと、天皇陛下を悪人かのようにあつかう表現が問題なのである。

まあ、作者の自伝的な作品ということなので、作者がそう思っていた事実があるのだろうが。

作中では右翼にも敵対心を持つ表現などもあったように思うので、純粋な目で見れば、被曝体験者の率直でリアルな気持ちだったのかもしれない。

 

しかし、それを気に入らないと思う立場の人達が少なからずいて、なおかつ彼らの反対勢力側の力が弱まっているということだ。

 

俺が通った小学校は、日教組の思想が強い小学校だった。なので、国旗掲揚も無かったし、音楽の授業では『君が代』は軽く説明されただけで飛ばされた。

それも『君が代は国歌ではありません。仮国歌です。覚える必要などありません』という説明だったのだ。

 

中学校に上がると日教組側の先生は半分ぐらいになっていたように思うが、国歌斉唱のときにも椅子に座ったまま我関せずな顔をしていたのが印象的だった。

 

まあ、自由な国ですこと。だ。

 

俺もどちらかと言えば左に寄っていたようにも思うが、なにしろ知識などない。頭脳警察というバンドが好きだったというだけの話。

 

今はとりあえず右寄りだと思う。勉強不足だとは思うが、自分なりにそれなりに調べた結果ね。

 

でも、はだしのゲンは必要だと思う。

 

唯一の被爆国だということを忘れてはいけない気がする。

被爆された方々がどれくらい生きておられるのか知らないが、すでにかなりの高齢者であるはずなので、あとは被爆体験者のリアルを知るすべは残された資料しかなくなる。

そのなかではだしのゲンは重要な資料のひとつになりうると思うのだ。

 

子どもだってバカばかりではない。浪曲が何であるか知りたければ大人に質問するだろうし、インターネットで調べるさ。

登場人物が母親のために鯉を盗んだからといって、模倣するとも思えない。

むしろ大人のほうにバカが増えているのだ。

 

 

あ、長くなりそうなのでまた。